第三章 ファンシー・フライヤーズ・フォール
1.恋の話をしよう−2
「で、高橋。今日買うものは、もう考えてあるの?」
家具チェーン店は、ショッピングセンターの三階と四階のフロアに広がっている。三階が組み立て家具と家電および雑貨売り場、四階が大型家具の売り場だそうなので、ひとまず三階でエスカレーターを降りた。高橋が、エスカレーター傍に並んでいた大型カートを引っ張り出す。
「一応、メモはしてきたのだが」
カートを片手で押しながら、もう片方の手がコートのポケットを探る。黒いカバーのついた、手のひらサイズの薄い手帳が取り出された。
そのままぺらぺらとめくる。ややあって、高橋はあるページで手を止め、読み上げた。
「『しめじは石突きをとって軽く洗い、水切りをします』」
「ちょっと待てェェェェ!!」
どこから出てきたそのしめじ!!
「あ、間違えた。違うページだった」
「そりゃそうだろうな!! 何のメモなのそれ、料理するつもりだったの!?」
「今まではホテル住まいだったから食事の心配は必要なかったのだが、これからは一人暮らしだからな。体調管理のためにもきちんと料理をしようと思って、あらかじめいくつかの料理を調べておいた。エクソシストには自己管理、そして事前の準備が必要だ」
「……うん、じゃあ、しめじの石突きを切って洗って水切りをするために、包丁とざるも買おうね」
「そうか。忘れないうちに書き足しておこう」
ページをあと二枚めくって、そこが買い物リストを書いた正しいページだったらしい。手帳に差してあった細いボールペンを抜いて、ページの下の方に書き足す。
「それで高橋、買うものは何?」
「まず布団」
高橋がボールペンでリストの一番上を指して読み上げる。なんだ、案外きちんと考えてきてるじゃない。
「次に布団」
「……ん?」
「あと布団。以上」
「布団を三組!?」
「あ、あと、先程のばらが言っていた包丁とざる」
「ごらぁぁぁぁッ、あたしが包丁とざるのことを言い出さなかったら、布団しか買わないつもりだったのか! それで一人暮らし出来ると思ってる!? ねえ本気で思ってる!?」
「だめか?」
「だめ!!」
「だめかっぴょん?」
「その言い方してもだめェェッ、むしろ逆効果だからしちゃだめェェェッ!!」
あたしは手帳を奪い取った。あたしが見ても残念ながら、布団が三つと、さっき書き足した包丁とざるしかリストには書かれていない。やけに文字が上手なのが、いらっとくる。
「まずどうして布団が三つ要るんですか!」
「一つは俺が寝るために使うだろう。二つ目は観賞用で三つ目が布教用」
「布団を観賞するの!? 何だよその趣味、しかも布教って何だよ!」
「『この布団に変えてから、肩や腰の調子がよくって、毎日をいきいきと過ごしています。この品質で五千九百八十円、さらに今なら枕カバーをお付けしてお値段そのまま』」
「平日午前の通販番組じゃねえか!!」
「しかしおかしいな、日本ではそのような物の買い方をすると聞いたのだが」
「それは本とかDVDを好きな人がやることだから!! 布団は対象外だからぁぁぁっ!!」
「そうだったのか」
ふんふん、と頷いて、高橋があたしの持つ手帳に手を伸ばし、二つ目と三つ目の布団の文字を二重線で消す。
だめだこのエクソシスト、このままこいつに任せていると買い物が終わらない。繰り返すけど、あたしはお腹が空いているんだ!
「とにかく、最低限必要なものを洗い出すよ!?」
高橋からボールペンも奪い取り、ノックして芯を出す。
「まず、高橋のアパートって、どんな間取りなの? 家具とか家電は全くないんだよね?」
「台所と八畳の部屋、あとはクローゼットと風呂、トイレだな。部屋にはエアコンはついていたが、それ以外には何もなかった」
うわあ、本当に何もない。これは買うものが多くなりそうだ。まずは、去年の春、お兄ちゃんが一人暮らしを始めたときに買ったものを思い出そう。お兄ちゃんとお母さん、何を買ってたっけ……えーっと……ああ、買い物時間が長くて暇だからって、途中で同じビルに入っている服屋さんとか本屋さんを見に行ったりしなけりゃよかった。頭を押さえ、なんとか記憶を辿ってひねり出す。
「ええと、まず台所に、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器……は要るのかな。高橋ってご飯炊くの? それともパン派?」
「主食なら、固形栄養食が一番多いが」
「……しめじを使って料理作ろうとしてたわりに、そこは適当なんだ……」
「牛乳も飲むので問題はないだろうと考えた」
「……うん、そうだね、じゃ、炊飯器要らないね」
ひとまず、書きかけていた炊飯器の文字を塗りつぶして消す。高橋の食生活についてつっこむのは、買い物が終わってからにしよう。一度につっこむのは一つまで。二兎を追うものは一兎をも得ず、ってこの間の国語の小テストに出てきた。
「台所はそんなくらいでしょ。他は、掃除機、洗濯機。ベッド。大きな家具と家電はこれくらいじゃない?」
「そうか」
「ひとまず絶対に必要なものを買って、あとの細かい雑貨だとかは、フロアをぐるっと回って探しながら買いそろえていけばいいと思うんだけど」
「なるほど」
高橋が頷き、大きなカートを押して進み始めた。あたしも、カートの横側に手を添えて一緒に歩き出す。さて、今挙げた家具家電の売り場はどこだろう。ええっと……。
「あ」
高橋が声を上げた。売り場を見つけたのかなとおもったけれど、高橋の視線が何かを追って動いていくので、どうやらそうではないらしい。あたしもつられて顔を動かして、……あ。
「伊吹」
「伊吹さん!」
「げっ」
ピンク色の丸いクッションを入れたカートを押す女の子。大人っぽい膝上丈のスカートから伸びる、黒いタイツを履いた細いその足が止まる。露骨に嫌そうな声とともに。
長い黒髪に縁取られた、彼女――伊吹さんの整った顔が見事に引きつっていた。
守本中学校二年生にして風紀委員長。去年度の文集のランキングコーナーにおいて、一年生であったにも関わらず、大人っぽい人・頭のいい人・お姉さんになってほしい人の三部門で上級生を抑え圧倒的一位を掻っ攫った伝説の同級生、伊吹花折。嫌そうな声も可憐で、引きつる顔も美人。……なんだけど、残念ながら――彼女も変人(エクソシスト)、仲があまり良くないみたいだけど高橋の同僚だ。
大人っぽいじゃなくて実際に年上、年齢詐称の本当は高校生。ついでに高いところだの尖ってるものだの犬だの、軽く聞いただけでも弱点の数が片手で足りない。完璧に見えて実は残念な、親しみやすい、……たぶん親しみやすい女の子だ。少しくらい欠点がある方がいいって、この間美容院で読んだファッション雑誌にも書いてあった。
ともかくそんな伊吹さんはあたしたちを見て、思わず、といった感じで明らかに嫌そうな顔をしたものの、軽く首を振り、気を取り直して黒髪を払って優雅に背筋を伸ばした。
「あら奇遇ねこんなところで出会うなんてっ」
「どうしたんだ伊吹、こんなところで。お前も洗濯機を買いに来たのか」
「お前もって何よ一緒にしないでくれるかしらっ……」
優雅な動作と言葉なんだけど、……どうしたんだろう、伊吹さんは言いながら、ちらちらと視線を辺りに向けている。あと、いつになく早口だ。
「まあそんなことどうでもいいけれど私買い物で忙しいのよまた明後日に学校で」
「ああ、そうだ伊吹、家電売り場がどの辺りにあるか知らないか?」
伊吹さんの言葉を、高橋が好き勝手に遮る。伊吹さんの表情に、なんというか、焦りのようなものが浮かんできた。
「は、はあ!? 家電!? あっちの方じゃないの、っていうか自分で見つけなさいよ私ちょっと急いでるんだからっ、」
「マヤコちゃーん!」
突如割り込んだ大きな声。思わずあたしと高橋、それから伊吹さんは声の方を向く。ただし伊吹さんは、やたら勢いがついていた。
大きく手を振って駆けてくる女の人がそこにいた。少しカールのかかった、長く茶色い髪が揺れる。柔らかな笑顔はあたしたちの方――というか伊吹さんに向けられている、明らかに。
……「マヤコちゃん」?
「やっと見つけたよ〜」
女の人が、振り返った体勢で完全に硬直する伊吹さんの前で立ち止まる。長い間走っていたのか、はあっ、と大きく息を吐いて、ほっとしたように言う。
「ごめんねごめんね、でもマヤコちゃんたら、歩くのが速いよ〜。お姉ちゃんすっかり見失っちゃって、……あっ、クッション! 先に選んでてくれたの?」
息が上がっていながらもどこかマイペースな話し方をする彼女は、伊吹さんが押すカートに入ったピンク色のクッションを見て、嬉しそうに笑って手を合わせる。
「ありがとう、可愛いな〜。マヤコちゃんが選んでくれたからこれにするね、……あら」
目の前で固まる伊吹さんに関係なく無邪気にはしゃぐ彼女が、どうやらあたしと高橋の存在に気付いたらしい。あたしたちの顔を見て、もう一度伊吹さんの顔を見てからふわりと笑う。
「マヤコちゃん、お知り合いの方?」
尋ねられた伊吹さんは、けれどすぐには答えなかった、というか答えられないようだった。顔が赤くなり青くなり、口が震えてぱくぱくと開いて閉じる。
「おっ、おねっ」
なんとか、という感じで、ようやくその口から音をひねり出す。完全に裏返っているけれど。
伊吹さんの様子に、女の人がきょとんとして伊吹さんを見る。けれど伊吹さんは、それ以上の言葉を出せない。空気不足の金魚みたいに口をぱくぱくさせて。
奇妙な沈黙と、流れる空気。
そして。
「……おね?」
高橋が首をひねったのが、引き金だった。
「――っ、こっの馬鹿姉が――ッ!!」
クッションを引っ掴み、伊吹さんがぼふん、と女の人へ叩きつける。
「わわっ、どうしたのマ」
受け止め、びっくりして目を真ん丸にした彼女の襟首に、カートを放り出して伊吹さんが掴みかかる。
「それッ、呼んじゃ、だめでしょおッ!?」
「えっ?」
言葉の濁流が喉でつっかえて切れ切れな、叫び声を抑えようとしてぎりぎりのかすれた金切り声を上げる伊吹さん。しばし女の人はきょとんとして伊吹さんと、あたしと高橋を見比べて、……ああっ、と大きな声を上げて口を押さえた。
「ど、どうしよう、わ、わたしったらまたうっかり、どっ、どうしようマヤコちゃ」
「だからだめだって言ったそばからぁああッ!」
「ひゃああ、ま、またやっちゃったマ」
「お願いだから一回口を閉じて――!!」
伊吹さんの絶叫に、女の人は身を縮めて口を押さえる。
残ったのは、伊吹さんがはあ、はあ、はあと肩で息をするその音だけ。
やがて伊吹さんはゆっくりと、あたしたちの方を振り返った。この短時間でなんだかすっかり、やつれてしまっている。
「……原さん」
なのに目の鋭さは、ぎらぎらと、増している。。
「は、はい」
「……聞いてないわよね?」
「え、えっと」
「聞いてなかったわよね!?」
可憐な声にドスを効かせる伊吹さん。あたしの視線は知らず知らずのうちに横へ逃げていく。つられて伊吹さん、そして半泣きの女の人の視線もそちらへ。
そうして見てみると、あたしの横に立つ高橋が押しているカートには、いつの間にかいくつかプラスチック製の雑貨が入っていた。今まで周りを見る余裕がなかったけれど、ちょうどここは雑貨売り場だったらしい。すぐそばの棚から緑色のごみ箱(三百九十円)をとりカートに入れてから、高橋はあたしたちの視線に気付いたらしく、三人まとめて見回した。そして視線は伊吹さんのところで止まる。
「ああ、伊吹。すまない、ふとすぐそこの棚に雑貨があることに気付いてからというもの、選ぶのにうっかりすっかり夢中になってしまい、あまり聞いていなかったんだが」
無表情のまま、首の後ろを掻き。
「マヤコって誰だ」
伊吹さんが卒倒した。