第二章 交わるマイワールド
2.彼女と悪魔と最終兵器−2
「最終……兵器?」
聞き慣れない響きの言葉を繰り返してみても、現実味がない。「最終」はここのところ「最終手段」でしょっちゅう聞いたからいいとしても、「兵器」って。
「そうだ。協力者であるのばらには、大まかな事情を話しておく。よく聞いてくれ」
「……って、あたしが協力するのは決定事項かよ!」
間髪いれずに高橋は頷いた。ええ、まあ諦めてますけどね!
「最終兵器――魔物、あるいはこの世界や『裏』に影響を与え得る存在の中でも強大な力を持つものを総称して、俺たちは最終兵器と呼んでいる。が、そのほとんどについて、正式名称はおろか、形、そしてその効果さえも、正しく把握されているものはほとんどない」
「え、ないの!?」
いきなり出鼻をくじかれる。何その最終兵器。
「そういうものは、古くから伝わるいわくつきの品であることが多いのだが、長い年月の間に行方不明になることは珍しいことではない。そうとは知られず異国で所持されていたり、あるいは形を変えられてしまったり」
「効果も分からないものを探して大丈夫なの?」
「まあ、効果に関しては、よくある効果が三種類ほどあるから、どうせそのどれかだろう。問題ない」
「ふうん。三つしかないの?」
「広く知られる神話や伝説、もしくは人間が普遍的に感情を抱くものや事象が元となって、いわくつきの品となるからな。乱暴に分けることにはなるが、大体は共通して、三種類ほどだろう」
高橋が三本、指を立てる。
「一つは戦いに関するもの。これは英雄や神が持ったとされる武器が元。掲げれば相手の頭上に雷が落ちる槍だの、抜けば敵が全滅するまで自動で斬り続ける剣だの、どれだけ離れていても必ず射抜くが射手も同時に命を落とす弓だの」
「何それ、怖っ」
「二つ目が自然現象。そして三つ目が生と死に関わるもの。と、まあ、この三つのどれかではあるだろうし、どれであったとしても有用だからな、探す価値はある。そういうわけで水面下に調査が進められ、どうやら最終兵器のうち一つが、ここ、守本中学校にあるということが判明していたそうだ」
「……へえ」
どういう経緯を辿れば、自滅しちゃう弓の成れの果てが守本中学校にやってくるんだか……。
「ただ、その時点では早急に必要というわけでもなかったため、伊吹が一人で潜入し、光原市周辺の『穴』の監視のついで、くらいの感覚で捜索を二年ほど行っていたらしい」
「どうしてあんたたちの『最終』の価値ってそんなに低いの……」
「大昔なら、エクソシストの数が少なかったから、そういったものに頼る必要があったのだが。ここ数世紀の大幅な人口増により母数が増えたことで、エクソシストの絶対的な数も十二分に増えたため、最終兵器の価値も下がってしまった」
なんだか、最終兵器が可哀想になってきた。
「ところで」
一度言葉を切り、高橋が咳をした。
「昨日、あの後本部へ報告に行った際、ついでに魔物を運ぶよう頼まれたのだが」
そしてまたわざわざ咳をする。……もしかして、これは。
「なんというか、俺が運んでいたはずの魔物が消えていたという不可思議な事件が起こったんだ。あれは本当に不思議だった。そろそろテレビ番組で特集が組まれる頃かもしれない」
「要するにまた逃がしたのかよ! 今年入って、それ何回目!?」
「十回目」
「今日、一月八日だけどぉぉぉ!?」
一日一回以上のペースって何だよ! エクソシストが十二分にいる状況なのに高橋がクビになってないことの方が、よっぽど不可思議だろ!
「まあともかくそういった不思議な現象が起こり、本部へとんぼ返りして報告をしたところ、上司が守本中学校の最終兵器のことを口にした。というのも、任務が正常に行われている状態では最終兵器の必要性は低いが、魔物を複数匹逃がした等の問題発生時には、俺一人が追うよりも最終兵器に頼った方が確実で早い。腐っても最終兵器だからな。捜索に本腰を入れる価値がある、と判断したそうだ」
「それで、高橋は守本中学校で自由に動くために、教師になっちゃったってこと?」
「さすがに中学生として潜入するのは無理があるからな」
「教師としてやって来るのも、十分、無理があると思うけど……一体どうやって、昨日の今日で赴任してこれたのよ」
「守本中学校の音楽教師が、ちょうどよく、三学期から産休だったからな。代わりにやってくる予定だった講師を、ちょっとこうしてああしてどうこうすれば、一日でやってくるくらい簡単なことだ。エクソシストだからな」
「エクソシストあんまり関係なくない!? っていうか、それ、大丈夫なの!?」
「大丈夫だ。法律の範囲内だから」
合法な「ちょっとこうしてああしてどうこうした」って何だよ!!
「さて、一応本部からの命令としては、その中学生として潜入しているエクソシストと協力することになっているのだが、……あ」
ふと高橋が顔を上げた。つられて同じ方向を見て、――視界に入ったのは。
「覚悟ォォォォォッ!!」
まさに今この瞬間、地面を蹴り、ほうき(屋上掃除用)を振りかぶる、
「何やってんの伊吹さんんんッ!?」
伊吹さんだった。いつの間に! 今まで気配も、音も全くしなかったけど!?
「ん」
伊吹さんの目の前へ、高橋がおもむろに、黒い携帯電話を突きつけた。人差し指でサイドのボタンを押すと、ぱか、と折り畳み式携帯電話が開く。
「――ッ!?」
その瞬間、顔を真っ青にし、伊吹さんはほうきを放り投げて身を翻した。重さを感じさせないバックステップで距離を取り、両手をぎゅっと握って構え、息を荒げる。
一体、伊吹さんは何を見たというのか。そっと携帯電話を覗き見ると、待ち受け画面が、柴犬の写真だった。可愛い。……って、ああ、伊吹さんは犬恐怖症だったっけ……。
それでも、敵意丸出しで美しく構える伊吹さんは、自分を落ち着かせるように大きく息を吐き、そして胸を張って腰に手を当てた。
「どういうつもり!」
「この写真のことか?」
絶対違うだろ!
「一昨日の夜、漫画喫茶のパソコンでネット検索をして見つけた。きちんと著作権フリーだと記されていた画像にしたから、伊吹が心配する必要はないが」
「伊吹さんは間違いなく、そんなことが言いたいわけじゃないと思うけど!?」
「そうなのか?」
携帯電話を仕舞い、高橋が首を傾げる。伊吹さんが静かに切り出した。なんとなく額に青筋が見えた気がした。
「……今日の朝、聞いたわ。私の担当地域に介入するだけじゃ飽き足らず、最終兵器探しで中学校に潜入ですって?」
「ああ、そっちか。ちょうどその話をしていて」
「黙りなさいっ!」
伊吹さんが突き出した右手の人差し指から、白く丸い眩しい光が、目にも止まらぬ速さで飛び出した。い、伊吹さん、それ、対魔物用じゃないんですか!
高橋は変わらぬ表情で、僅かに首を横に傾けた。金色の髪に少しかすった光は、そのまま飛んでいき、裏庭の端っこに生えている杉の木にぶち当たって消えた。ひぃ……。
「――っ! とにかく……!」
避けられてかっとなったらしい伊吹さんが、険しい顔でつかつかと歩み寄り、人差し指で高橋の胸を突いた。
「光原市周辺の監視も、最終兵器の捜索も、私一人で十分。まともに魔物を返す光も飛ばせないあなたの助けは要らないの!」
……昨日までのあたしだったら、伊吹さんのこの発言に即、頷いていたと思うんだけど、……今はちょっとなぁ……。後半の、高橋がどうしようもないっていう部分にだけなら同意できるんだけど。
伊吹さんが一つ咳をする。
「……まあ、来てしまったものは仕方がないわ。私は寛容なの。あなたはせいぜい頑張って、音楽でも教えていなさい。最終兵器は私が探す! あなたには負けないもん!」
捨て台詞のような何かを言って、伊吹さんは振り返り、走って帰っていく。途中、立ち止まり脇に転がっていた屋上掃除用ほうきを拾って、ついでにもう一回高橋を睨んでから、駆け去っていった。
負けず嫌いなのかプライドが高いのか完璧主義なのか、何なのか……。
捨て台詞の最後がちょっと可愛かったなあと思いながら伊吹さんが去っていった方を見ていると、横から、つんつんと肩をつつかれた。
「のばら」
声を潜めて高橋が言う。
「どうしたの高橋」
「そろそろ喋ってもいいと思うか?」
どうやら伊吹さんの「黙りなさい」をきちんと守っていたらしい。
「……いいんじゃないかな、伊吹さん、もういないし」
「そうか」
声の大きさを元に戻して、高橋がううん、と伸びをした。
「しかし、何だろう。俺は伊吹に嫌われているんだろうか」
「多分そうだとは思うけど、でもそれ以前の問題のような気もする! 高橋も伊吹さんも!」
「そうか。しかしそれでは、この協力態勢においても問題があるな。こういうときはどうすればいいのだろうか。お歳暮でも贈ろうか。何を贈ったら喜ばれるだろうか、神の使い」
「知らねえよ、巫女はお歳暮受付の店員さんじゃねえよ! ハムでも贈っとけ! そもそもお歳暮の時期過ぎてるし、神の使いでもないし――っ!!」
「よく分からなかったが、とりあえずハムだな。後で買いに行こう」
ああもう、発言の一部分だけ取り出すなぁぁぁッ! だからお歳暮の時期はとうに過ぎました!
「しかし、お歳暮が伊吹の家に届くまでには、さらに数日かかってしまうな。協力態勢が築けるまでに、俺たちだけでも少し探し始めた方がいいか」
高橋が校舎を仰いだとき、大きなチャイムの音が鳴り響いた。
うわっ、ホームルーム、終わっちゃった。今日は始業式とホームルームだけで、部活動も禁止だから、もう皆帰る時間だ。
「そういえば、ホームルーム終了後、教員全員での会議が行われるんだった」
くるりと高橋が後ろを向く。
「俺は会議室に行ってくる。のばらはクラスに戻って荷物をまとめて、世界を救う準備をしておけ」
「せ、世界を救う準備って」
「最終兵器を探すぞ」
「それはそうなんだけどーっ」
あっという間に高橋は、そこにあった通用口から校舎の中へ入っていってしまった。
★
寒い校舎裏で、我慢できるぎりぎりまで我慢して時間をつぶし。短い距離をゆっくりと、かつひっそりと歩き。
そうして辿りついた二年三組の教室。これだけ粘って、皆が絶対に帰ってる時間のはずなのに、……どうしてこの教室だけ電気がこうこうと点いてるんだろう。うわ、ドア開けたくない……。
開けるのを躊躇していると、ドアが、向こうから開いた。
「あー、のばら!!」
それと同時に、雪崩れるようにして飛び出してくるクラスメイト。先頭は明日香ちゃんだった。
「ちょっとのばら、高橋先生と何してたの!?」
興味津々です、といった感じの明日香ちゃんの言葉を合図に、「新任の」「若くて」「かっこいい」高橋先生に突然呼び出されたまま帰ってこなかったあたしを待っていたらしい皆による質問攻勢が始まった。
「どこ行ってたの!?」
「一時間も何してたわけ!?」
「木村先生も『さあ……』って言ってたし」
「わたしたちには知る権利があると思うよ!」
質問の洪水、っていうか濁流? 圧倒されるあたしの耳に、最前列の明日香ちゃんから「高橋先生の年齢、聞いた?」っていう声が届いた。あ、そういえば聞くの忘れてた。いや、どうでもいいけど。
「え、えーと、皆、ひとまず落ち着いて」
手で落ち着かせる仕草をすると、皆が目を輝かせてぴたっと止まった。質問の答えを待っている目だ。
……しまった。とにかく皆を落ち着かせようとしか考えてなかったから、答えが全く浮かばない。本当のことを言うと「魔物退治のための最終兵器探しを頼まれました。仕方ないから行ってきます、アディオス!」なんだけど、……言えるか!
「えーと、えーと、その」
静まりかえる、教室前の廊下。
ふと、靴音が聞こえた。遠くから近付いて来て、そこの角を曲がる。
「おいのばら、……」
廊下の角から覗きこんだのは、高橋だった。
高橋「先生」モードじゃない、高橋だった。
あ、時が止まるって、こんな感じなのか。
無表情な高橋の口の端がちょっとぴくぴくしてるのを見るに、どうやら、静かになっていたのであたししかいないと思ってたらしい。……しっかりしろよエクソシスト!
あああ、高橋に呼び出されただけでこれだったのに、名前で呼びやがって!! どうする気なんだ馬鹿ぁ!
「……の楽譜がどこにあるか探しに行こうと思ってるんだけど、あれ、原さんとそのお友達かな、どうしたの?」
……無理矢理繋げやがった。いや、確かに「のばら」って曲、ありますけどね。シューベルトだっけ、二学期に歌ったけどね。ちょっと苦しくないか。
でも、あたしの真っ当な不安は、杞憂に終わった。
「あっ、高橋先生!!」
「そうですー、わたしたち、原さんと同じクラスのー」
「明日の五時間目の授業でお世話になる、二年三組です!」
恐るべし中学生女子。高橋の不自然な繋ぎも、急ごしらえで穴だらけの「先生モード」の笑顔も、高橋が目の前にいることで上がったテンションのおかげで、全く気付いていないみたいだった。今さら、背中を冷や汗が一筋、流れていった。ああ、焦った……。
「そうなんだ、よろしくね」
「そういえば高橋先生、のばらのこと、知ってたんですか?」
相変わらず最前列に陣取る明日香ちゃんが、ずばっと尋ねる。もう二筋ほど汗が流れそうになったけれど、高橋は整った笑みを浮かべていた。
「ああ。原さんには、昨日、道に迷っていたところを助けてもらったんだ。そうしたら、僕が赴任する中学校の生徒だったから、びっくりして」
やり過ごした安心感からか、高橋の先生モードは絶好調だった。普段無表情の癖に、ほんと調子いいなこいつ。
「それで、原さん」
「へっ、は、はい、高橋……先生?」
「原さん、音楽委員だって聞いたんだけど。音楽室に楽譜を探しに行きたいからついてきてくれないかな? 僕より、原さんの方が音楽室内のことは詳しいだろうから」
そしてにっこりと笑顔。
「あ、はい、ソウデスネ……」
立ち上がって高橋について行く。背中に、なんていうか「後でよろしくね!」という期待の視線を痛い程に感じたのは、気のせいにしておきたい……。
★
「どうして音楽室に来たの?」
念のために左右を確認してから、小さな声で尋ねる。
校舎の二階の端っこ、音楽室のドアの前。高橋がスーツのポケットから鍵を取り出した。
「『のばらの楽譜』とかいう謎の繋ぎを誤魔化すために、『音楽室についてきて』って言ったんだと思ってたんだけど」
「当初から目的地は音楽室だ。エクソシストは様々な場面に対応しなくてはいけないからな、誤魔化すところからこの程度のことを考えるくらい、朝飯前だ」
「自分でまずい状況を作っておいて、何言ってんだか。あ、そういえば、あたしが音楽委員だってどうして知ってたの?」
「最初に教室へ行ったときに、黒板に書かれていたのを見た。エクソシストには観察力も必要だ」
古びた金属製の重いドアが、軋んだ音を立てながら開く。入り終えるとすぐに高橋がドアを閉めて、内側から鍵をかけた。
あたしでも名前を知ってるような音楽家の肖像画が並ぶ室内。前の方の天井には、吊り下げ式のスクリーンが収納されている。中央に大きなグランドピアノが置かれていて、その周りを生徒用の椅子がぐるりと囲んでいる。
「それで結局、どうして目的地が音楽室だったの?」
「そりゃあ、音楽室に最終兵器があるからだろう。よし、探すぞ」
「……はい?」
いや、ちょっと待ってよ高橋。ここ、普通の音楽室だよ!
「音楽室に!? 最終兵器があるの!?」
「そうだ」
高橋は頷いた。
「俺が何のために音楽教師になったと思っているんだ? 答えはただ一つ」
高橋が、長い人差し指をすっと立てる。
「音楽の素晴らしさを伝えるためだ」
話繋がってねェェェ! それは始業式での挨拶だろ!
「おっと、間違えた。ごめんだっぴょん。俺が音楽教師になったのは、音楽室を自由に捜索するためだ。これまでの伊吹による潜入と、本部の調査の結果、最終兵器は音楽室にあるのではないかという結論に至っているらしいんだ」
「そう言われても、どこを見たって、一般的な音楽室にある物しかないよ?」
「先程も話したが、最終兵器は形を変えられている場合がある。今回はそのパターンなのではないだろうか。まあ、エクソシストが触れれば分かると聞いたし、問題はない」
「『エクソシストが触れば』ってことは、あたしは触っても分かんないんだ」
「まあそうだな」
それって、ここにあたしがいる意味、あるんだろうか。そりゃあ、高橋よりはこの音楽室内の楽器や楽譜の配置は分かってるけど、そんなに役立つかなあ……。
「のばらは、そうだな、棚の奥などの怪しそうなところを探ってみてほしい。最終兵器は大抵金属製だから、それらしきものが出てきたら、俺に見せてくれ」
「……うん分かった、……あのさ高橋」
「何だ?」
既に探す気満々らしく、音楽室内を見回してるけど。
……観察力がどうのこうの言ってたけど、気付いてないのか、こいつ。ドアの外、あたしのクラスの皆が集まってこっちを見てるよ……。
しかも、皆から少し離れたところには、相当険しい顔をした伊吹さんの姿も見える。数人が伊吹さんに気付いて、ちらちらと視線を送っているけど、ちょっと怖いらしく話しかける人はいない。
まあいいか。音楽室だから防音設備はそこそこ整ってるし、あたしと高橋がやってることも楽譜を探してるようにしか見えないだろうし。
あたしはドアを見なかったことにして、音楽室の探索に向かうことにした。
仕方がない。高橋に付き合うことになってしまったのはもうどうしようもないんだから、今日もそこそこてきぱき探して、さっさと帰れるようにしよう。
よし、と大きく息を吐いて、あたしは駆け出した。
「あ、あった」
……駆け出した、っていうか、一歩進んだくらいだったんだけど。高橋の方を振り返る動きがぎこちないのが、自分でも分かる。
「……あのさ、高橋」
「どうした」
「それ、トライアングル、ですけど」
「ああ、そうだな」
演奏するポーズ――つまり、右手に棒、左手に本体を吊るす紐を持って、高橋が頷く。三角形の銀色の楽器が、吊らされてゆっくりと回っていた。
トライアングルが、エクソシストの最終兵器。って。
「やはり、形を変えられていたようだな。まあ言ってしまえば金属なんだから、何かの原料になってしまっている、ということはよくある話だ」
「……それ、去年の合奏コンクールで使ったんですけど……」
しかもうちのクラスのトライアングル係は前園(まえぞの)という、よく言えば元気、普通に言えば大雑把で騒がしいタイプの男子だったから、練習期間を含めて少なくとも二ヶ月間、そのトライアングルは全力で叩かれ続けてたんだけど。
「いわくつきといえども金属であることは間違いないから、演奏には耐えうるだろう。それにしても、あっさりと見つかったな」
「伊吹さんの二年間って何だったの」
「さあ」
軽く、高橋がトライアングルを鳴らしてみせる。キーン、と小さな高い音が響いた。どこからどう見てもトライアングル。
「その最終兵器、っていうかトライアングル、どういう風に役立つの?」
「いや、今のところさっぱり分からない。一旦本部へ戻って、過去の資料と照らし合わせて。使うのは、それからになるだろうな」
高橋がスーツの内ポケットから黒い布製の袋を取り出して、トライアングルを仕舞う。
「何というか、のばらの手を借りないまま終わってしまったが、これで今回の俺の任務は完了だ。俺はこれから本部へ持って帰る」
「……あ、そう」
本当にあたしは何もしなかったから、拍子抜けするんですけど。
まあいいや。きっと、ここのところ高橋に連れ回されてばっかりだったからそう思っちゃうんだろう。何事も平和が一番。そもそもあたしは守本中学校二年三組の音楽委員に過ぎないんだから、これでよかった。
ため息をついてから、あたしは顔を上げた。
「それじゃあ高橋、あたし、教室に戻るね。結局、荷物取りそびれてたし。今日は部活もないから、あたしも帰――」
「のばら!」
突然、高橋が叫んだ。その声はいつもとは全然違う、――必死、な。
「伏せろ!」