第二章 交わるマイワールド
1.明日の夜、高いところで−2
「分かった!? とにかく人気のあるところで飛んじゃだめ! 特にあたしが一緒にいるとき飛ぶのはだめ! 別に高橋一人ならどうでもいいけど、いやあんまりよくないけど! いい!?」
「そうか」
十分ほどかけて、あたしが「飛んじゃだめ」ということを伝えると、高橋はふんふんと頷いた。疲れた……。
その間に、辺りは薄暗くなっていた。目立たないように狭く静かな路地裏を選んでいるから、なおさらだ。
「……それで、高橋はコンビニで何してたの? 消しゴム以外にも、袋にいろいろ入っているみたいだけど」
ああ、結局今日も、いつの間にか魔物退治の付き添いをする羽目になっている。途中まではうまくいったのになぁ……。こうなったら仕方がない、なるべく早く済まそう。こっそりと小さくため息をつく。
高橋が首を傾げ、コンビニの袋を持ち上げてみせた。
「これか? お茶とおにぎりだが」
「……へ、へぇ」
マントを羽織ったファンタジー人間がレジで消しゴムとお茶とおにぎりを差し出すところを想像する。……そのシュールさに改めて頭が痛くなってきたので、途中でやめた。
「消しゴムはラッキーアイテムだったとして、どうしてまた、コンビニでお茶とおにぎりを……」
だからって、スパゲティーを買ってたらいいとか、コンビニじゃなくてデパートならオッケーとか、そういうことではないんだけどさぁ。
あたしの漏らした呟きに、首の傾きを戻して高橋が答える。
「今日は長丁場だから、夜食をと思って」
「ふーん、長丁場……長丁場!?」
危ない、疲れのあまり聞き逃すところだった。
いやいや、あたしはついさっき、なるべく早く終わらせてもらおうと思っていたところなんですけど!
「長丁場って、今日、何するつもりなの!?」
「……ん? 今日はいつになく積極的だな。自ら今日の仕事について尋ねてくるとは。いや、自分からはたらきかける、関わっていこうとする姿勢というものは大事だからな。いい傾向だな、神の使い」
「いやいやいやいや、逆! 逆だから!! 今のは関わらないために聞いたから! あと巫女はバイト!」
「今日はいつもの魔物退治とは別に、一つ、しなければいけないことがあるんだ。せっかく積極的なのだから、時間が惜しいな、歩きながら説明しよう」
「人の話を聞けコラァァァァッ!!」
表情は変わらないけれど、気分が良くなったのか、高橋の足が速くなる。小走りになるあたしは、なんだか高橋を積極的に追ってるような気分になって、すごく悔しくなってきた。
「今日は『裏』とこちらの狭間に開いた『穴』を見回る」
そして高橋は、案の定、全然話を聞いていない。
「……『穴』?」
あたしの話を聞いていない奴の話を聞くのは癪なんだけど、そうなないと訳が分からないまま話が進みそうで、それもそれで腹が立つから聞いておく。
「『穴』というのは、こちらと『裏』との境目が局所的に薄くなる現象のこと。視覚的には文字通り、丸い穴のように見える。空間的、および時間的な境界に出現しやすい。空間的境界というのは、例えば現世と神聖な場所との境、つまり神社のある山や森、大きな滝が挙げられる。身近なところで言うなら、地と天の境である高所にも開きやすい。そして時間的境界というのは、例えば昼から夜へ向かう黄昏時や、真夜中の丑三つ時のことだな。性質の異なる空間や時間が隣り合っているとき、今までの様子とこれからの様子の境目を越える際に場が不安定になる。その結果、すぐ傍にある異なる世界、『裏』と繋がりやすい」
「へえ」
確かに「丑三つ時」なんてフレーズは、ちょっと怖い映画なんかで聞いたことあるなあ。
「じゃあ、今は夕方だから、『穴』が開きやすいんだ」
「そうなるな」
「こちらと『裏』との境目が薄くなってるってことは、『裏』の魔物がこっちに来ることもあるってこと?」
「ああ」
高橋が頷く。
「『穴』自体は、世界中のあらゆる場所で毎日いくつも開き、そして自然に閉じる。普段の俺たちは、その短い間にうっかり迷い込んで来てしまった少数の魔物を返す仕事をしていればいいのだが、中には閉じずに開いたままの『穴』もある。それでは魔物が延々とこちらに来続けてしまうし、魔物がこちらに来るということは同時に人間も『裏』へ迷い込んでしまう可能性もあるということだ。その事態を防ぐために、俺たちエクソシストの中には、一つの地域に長期的に滞在し、その周辺の『穴』を塞ぐ役割に就いている者がいる」
「高橋はこの地域の担当なの?」
あたしは生まれてからずっと光原市に住んでいるけど、こんな目立つ奴を見かけたことなんて今まで一度もなかったのに。そう思って尋ねると、高橋は首を横に振った。
「いや。俺は、魔物を運んだり、逃げた魔物を追ったり、手が足りていない地域の『穴』を塞ぎに来たり。命令があればどこへでも動く、便利屋状態だな」
「それじゃこの辺りには、高橋とは別に、穴を塞いでくれてるエクソシストさんがいるんだ」
「ああ。光原市周辺に滞在しているエクソシストが一人いる。それが誰かまでは知らされていないのだが。……そいつがこの辺りの『穴』を塞いでいるはずなんだが、長い間塞がれていない『穴』がいくつかあるらしい。見落としているのか、何か問題があるのか……いずれにせよ放っておくわけにはいかないから、ちょうど周辺にいた俺がこの問題に対応することになった、というわけだ」
一気に話し終わり、高橋があたしの方を見た。……あ、これは。
「……しかし飲み込みが早いな、さすが」
「巫女はバイトぉぉぉッ!!」
よし、「神の使い」の「か」の字も言わせなかった! そろそろタイミングも分かってきたぞ。ちょっと得意な気持ちで高橋を見てみれば、高橋はきょとんとした顔であたしを見ている。
「……いや、さすが中学生は頭の回転が早いな、と……」
……。
まさかの不発だった。
「まあ、それだけの元気とやる気があれば問題ない」
しかも墓穴も掘ってしまった。得意な気持ちも反論する元気も、見事に夕日と一緒に沈んでいく。ああ、もうすぐ、夜が来るね……。
「時刻も、いい頃合いだ。まず一つ目の『穴』へ向かおう」
「……どこにあるの、それ……」
「あれだ」
高橋が、長い指で、すっと前を指差す。
いつの間にか、車がスピードを出して走っていく音が近くに聞こえていた。狭い道を進んでいるうちに、駅前通りを下ったところに延びている国道のすぐ北側まで辿りついていた。
高橋は、国道脇に並ぶマンションのうち一つを指していた。グレーの外壁の、7階建ての綺麗なマンション。玄関前の廊下に等間隔に灯る、暖かい明かりが見える。
「光原マルツマンション、屋上」
「さて、それでは行こうか」
高いところを指差していた手を降ろし、高橋がマントを翻して歩き始める。まっすぐに、マンションの玄関へ。自動扉が開く。
「……ってちょっと待った、高橋!」
とても自然に正面からマンションに入ろうとした高橋のマントを、慌てて掴む。うぐ、と上の方から喉が詰まったような声がした。
「どうした、のばら」
首元を押さえ、けれど表情は全く変えずに、高橋が後ろへ傾きながら振り返る。
「正面から入って大丈夫なの!?」
「何か問題があるのか?」
「だってマンションって、大抵オートロックでしょ」
開いた自動扉の先には、もう一枚、同じ扉が待っていた。違うのは、その左方にボタンの付いた銀色のパネルが光っていること。あのパネルで部屋番号を指定して、その部屋の住人にこの扉を開けてもらわないと、鍵を持っていないあたしたちは入れないはずだ。
「それはそうなのだが」
マントから手を離すと、高橋が詰まった首元を整える。
「俺も仕事で来ているわけだからな。不法侵入するわけにもいかないだろう」
一応、そこは常識的に判断しているらしい。もっと他のところでも常識的になってほしいけど。
高橋はタッチパネルに近づいた。右手の人差し指が、迷いなく番号を押す。一、ゼロ、一。
ややあって、ぷつ、という内線が繋がった音が聞こえた。女の人の声が続く。
「はい?」
軽く息を吸って、高橋がマイクへ向かって言う。
「鈴木さんのお宅ですか、斉藤ですけど」
「……違いますけど」
「あ、すみません、間違えました」
「はあ……」
困惑したような声を残し、インターホンは切れた。
……。
「よし、じゃあ次」
その困惑した声のことも、ついでに困惑するあたしのことも全く気にせず、高橋が次の部屋番号を押そうとするから、あたしはまたマントを思い切り引っ張った。
「ちょっと高橋、今の何!? あんた斉藤なの!?」
「いや、高橋だが」
どうやら高橋はあたしの行動を予測してたらしく、あたしが引っ張る前にマントの首元を逆方向に引っ張っていて、今回は無傷だった。
「この扉を開けてもらえばいいんだろう。だから、日本のポピュラーな名字の組み合わせを言っていけば、そのうち当てはまる家庭にたどり着き、開けてもらえるのではないかと」
「日本にいくつ名字があると思ってんのよあんた……」
「五つくらい?」
「少なすぎるだろ! 高橋と鈴木と斉藤と、あと二つは何なのよ!」
「お前が『原』だろう。あとは……あれ、何だろう。すまない、五つもなかった。四つだった」
もう何から何まで駄目じゃねえか!
「しかし四つの名字を二つずつ組み合わるなら、全部で六通りしかないから、当たる確率も高いのではないだろうか。六分の一、サイコロで三が出る確率と同じ。大丈夫だ、俺はサイコロで三の目を出すのが得意だから」
「サイコロに得意不得意とかねえよ!」
「五の目は不得意なんだが」
「得意不得意の基準は何なんだよ、そもそも得意だとか不得意だとかが問題になるのなら、もう六分の一の確率の話が関係ないじゃない!」
「……そうか、そんなに六分の一の確率では不安か」
そうか、と言いつつ全然あたしの話を理解してくれない高橋が、顎に手を当て、斜め上を見て少し唸る。そして何か考えが至ったのか、やがてその緑の目であたしを見た。
「仕方がない。のばら、作戦変更だ。作戦Fを開始する」
「さ……作戦Fって何よ」
F? Fから始まる言葉って何だろう、英語が苦手な中学二年生には、そんな単語、すぐには思いつかない。何だろう、F、F、ファミリー、フレンド……。
「不法侵入」
「ローマ字かよ! っていうかさっき、仕事なんだから不法侵入はしない、とか言ってたくせに!」
長い指を唇に当て、高橋が無表情のまま「しーっ」と言う。
「のばら、これは不法侵入ではない、作戦Fだ」
「今さっき、自分で不法侵入って言ったじゃん!」
「過ちを受け入れて、人間は大きくなるんだ。それにそんなに騒いではばれてしまうぞ。作戦Fは静かに行わなくてはいけない。それが作戦Fのルールその一だ」
「不法の時点でルールも何もねえよ!」
「ちなみにその二は、ごみを残さない、だ」
「……足を残さないってこと?」
「環境美化に務めなさい、ということだ。時代はエコだぞ、のばら」
そもそも不法なんだから、そんな思いやりなんて意味ないだろ! 何だよエコって、エコなエクソシストってお前はどういう方向を目指してるんだよ!
そうこうするうちに高橋はさっさとマントを翻し、入ってきた自動ドアを開けて外へと出ていく。
「のばら? 早く行って早く終わらせて早く帰らないと、遅寝は成長によくないぞ」
「……ソウデスネ」
いろいろなものを押し殺し、あたしは高橋が開けてくれていた自動ドアをくぐった。ついでに高橋の頭を叩いた。